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2020 installationinteractive 木、マイコン制御、3Dプリント PLA

一年のうち、存在を許されない日がある。起きなかったわけではない——ただ、口にすることが許されないのだ。技術があらゆる言説を掌握するこの時代、絶えず見張り、絶えず選別する眼がある。名前を消し、日付を空白にし、しわを均していく。

だが、消された場所は空洞として残る。その空洞こそが、どんな言葉よりも雄弁に語る。

《現像計画》は、常に監視された一枚のキャンバスを構築する。設置されたカメラの行列がすべての筆跡を追う。描き手は自由に筆を走らせることができる——ある領域に触れるまでは。そこで筆は自動的に引き込まれ、空白だけが残される。しかし線が積み重なるにつれ、触れてはならない輪郭が、ネガとして少しずつ浮かび上がってくる。

現像とは、暗室の動詞だ。フィルムに潜む像は、時間と薬液を経て、ゆっくりと光の中に姿を現す。抑圧されたものもまた、同じように——語ることを禁じるその行為自体が、すでにすべてを語っている。

筆は3Dプリントの外殻と、モーターで駆動するマーカーで構成されている。システムが許可した場所でのみ、ペン先は紙に触れることができる。

この作品に意味があるのかと問う人がいるかもしれない。私がむしろ問いたいのは——この一切の書き記しを監視し、審査することに、いったい何の意味があるのかということだ。

この作品が展示されていたまさにその時、世界の命運を変える疫病が武漢から全世界へと広がり始めていた。それが起きた理由もまた、同じ論理に根ざしていた——言葉が封じられ、警告が消去され、安定維持の名のもとに引き起こされた巨大な混乱が、沈黙の中で展開していったのだ。作品は何も予言しなかった。現実がただ、それを忠実に演じ直しただけだ。

2020年,第68回 東京藝術大学卒業・修了作品展